穴をあける

 わたしたちの住む島原地方では「穴をあけて通す」ことを「つっぽがす」などとも申しますが、昨今大変な問題が発生してきました。まずは写真をご覧ください。

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 きれいなものです。(デジカメがおもちゃなもので画質は最低ですが、風景としての「きれい」・・・ですね)地図がお手元にあればすぐに開いて見ていただいたらよくわかっていただけると思うのですが、島原半島は今、諫早湾干拓で揺れ動く有明海の西に、雲仙岳を中心にまあるく突き出ている島のような半島です。上の写真は、半島の東側、つまり有明海側の島原港から撮った写真です。海から山までの距離が近く風光明媚です。海から山までの狭い部分に島原市街地があり、背後に見える山は、眉山といって、雲仙普賢岳の東側にある山です。日本三大難山のひとつで、山を構成している土質が崩れやすいため年中土砂が流れ、「金喰い山」とも称されている山です。

 砂防ダムを作り、たまった土砂を頻繁に運び出さなければなりません。だから「金喰い山」なのです。画面の真ん中あたりが特に崩れがひどいのがおわかりいただけるかと思います。この眉山は今から約200年前寛政4年(1792年)の雲仙普賢岳噴火の折、崩れた土砂が海にまでなだれ込んで(写真でみる真ん中あたりでしょうか)、有明海に大津波をおこし、海を挟んだ対岸の熊本県側の今の荒尾市や長洲町、岱明町あたりにまで被害を及ぼし「島原大変肥後迷惑」などという言葉まで生まれました。

 現在は、日本中の注目を浴びた平成3年の大火砕流を起こした雲仙普賢岳の噴火もおさまり、あの悪夢のようだった日々が遠い昔話になってしまいました。観光客が噴火の「遺跡」を見に集まってきましたが、犠牲になられた多くのかたのことを思うと、今でも胸が詰まります。島原は観光都市で、とりたてて産業らしいものもありませんし、自慢できるのは、この豊かな海とその恵み、山の緑とこの眉山・雲仙岳ももたらす豊富できれいな湧き水と温泉、写真に見るような風光明媚な景観だけなのです。

 現代のように都市化・ビル化が進む町では、自然が豊かなのはなににも代え難く、「豊かな自然」ゆえにこの地に住んでいる人も多いはずです。ところが・・・日本の政府の方針なのか、はたまた地方の人たちの単なる都会への憧憬なのか、どこもかしこも、コンクリートで塗り固める昨今の嘆かわしい風潮で、この風光明媚な眉山の山すそにトンネルを「つっぽがす」というとてつもない計画が着々と進行しつつあるのです。

 日本には太古より、山は神そのもの、という信仰があり、いまだに神社で本殿は背後の山というところもあるほどです。島原では、この眉山はとても重要な役目を果たしていて、この山のおかげで「普賢岳噴火」の折に、市街地が火砕流の直撃を免れたといっても過言ではありません。 

 左の写真を見ていただけるとよくわかると思いますが、崩れている手前の山が眉山。海に面して島原市街地があります。左奥に見える山頂部の緑のない富士山型の山が雲仙普賢岳です。噴火の際は、普賢岳山頂からニ方向へ火砕流が流れ下ったのですが、どちらも眉山の後ろ側に当たり市の中心部を眉山が守った形になりました。島原の中心部に住む住人は眉山の神様に感謝しなければバチがあたるというものです。

 島原は全国名水百選でも選ばれた名水の地でもあります。市役所正面にかかる巨大な垂れ幕にも『水と緑の町しまばら!』とあるほどですから、豊かな緑と、きれいな湧き水は観光でしか生き延びられない町としては、お金には換えられない大切なかけがえのない財産なはずです。 

 その宝の湧水は眉山に降った雨や雲仙普賢岳の山頂に降り積もった雪が解け、浸透しやすい土質の山体で濾過され伏流水となり、地下から島原の名水となって湧き出しているのです。島原市の水道は100%その湧水を利用しているので、水道料は全国的にみても格段にお安い・・・。と、まあ、島原にはこのふたつのお山がなくてはならない、つまり私たちは日々の生活全般をこのふたつのお山のお陰ですごせている、といっても言い過ぎではないほどなのです。

 その大切な山に穴をあける・・・そんなことを考え出したのは、いったい誰なのでしょう?去年、建設省のかたが説明に来てくださり、お話を伺いましたが・・・トンネルを掘って諫早方面へ短時間で移動できる車道を作り、経済効果やもっと便利な「早い」生活より、豊かな緑と安全な飲み水を子孫に残すことのほうが自分たちの生き残る道なのではないか、と住民の多くが考えているのです。

 山に緑が豊富であれば空気が浄化されますし、水も豊富にためることができます。豊かな山は海の水をも浄化し(これは以前、江戸時代の魚民が山に植林した話を『魚付林』と題して書いたことがあります。過去帳の中にありますので参考にしてください。)有明海に豊富な魚を養うことができます。何より重要なことは、自然が豊かであることが、そこに生きる人の心を健全に保つと考えられることです。実際、コンクリートだらけの大都会では病んだ心の人が多いはずです。

 より快適(ほんとうに快適かどうか?)に早く、というのはもう時代遅れの発想ではないでしょうか?島原だけでは多分ないと思いますが、道路をつくる計画のあるところは、それがないとどこにもいけないわけではなく、既成の道路がすでにあるはずです。目先の「よりよく」「より早く」より、長い将来で本当にそれがよいのかどうかはひどく疑問です。

 トンネルを掘るという工事は紙にパンチでぽんと穴を穿つのとは違います。島原の場合、崩れやすい眉山に穴をあければトンネルの周囲を固めなければ崩れてきます。その固める物質は膨大な量のウレタン系の薬剤です。地下に水がしみこみ濾過されて出てくる島原市の湧水、トンネルの周囲に詰め込まれたウレタン系の樹脂が劣化して、その水に溶け込んでいく・・・10年20年30年。湧水を飲み続ける市民。原因不明のガンや病気が蔓延する「水の町しまばら」

 そんなことは絶対にない!といったい誰が言い切れるのでしょうか?一度注入されたウレタン系の化学物質は完全に除去できるのでしょうか?とりあえずやってみましょう、ではすまされません。すべきではないのです。

 (自然の神や恩恵)で生かされていることを忘れてはいませんか?山を汚し傷つけ、人間だけが豊かに生きられるなどということはないのです。山や自然を傷つけ破壊し続ければ、それは自身の首を縊っていることなのだとしっかりと自覚しなければ、人類にとって明るい明日などないはずです。目先の経済効果ではなく5年後10年後の将来(そんな時間はすぐです)の経済効果(そんなに経済効果だけでしか考えられないのであれば計算してみたらよかろう)は考慮されているのでしょうか?

 人はとかく小さな世界でしかものを見たり考えたりすることしかできません。身近なことやほんの自分の周囲のことだけしか見えない人が多すぎます。でも、確実に世界的規模で起っている自然破壊や環境の変化は目に見える形で振りかかってきているのです。ここ島原でも、温暖化の影響で潮位が上がってきています。海岸沿いに住んでいる人や河口に住んでいる人はここ数年の潮位の変化に気がついて、脅威に思い始めています。

 環境や自然は個人の力ではどうする、どうなる問題ではありませんが、少なくともこれ以上の自然破壊に反対し、日々の浪費生活を改め、差し迫った「トンネルつっぽがし計画」などを反古にしていきたいものです。

トンネルぜったいはんた〜い!

      

 

 

   夕暮れどきの眉山。島原半島の東側半分からはどこからでもその山容を見ることができますが、山の形がユニークなので、見る位置でまるで違う山のように見えます。落日は山に沈んでいきます・・・まるで山が後光を発しているよう。しばし瞑目し、願わくば人間の暴挙をお許しくださいますように・・・。

 

 

 

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