食を極める

 遅い夕食をとりながら、見るとはなしに父がつけっぱなしにしていたテレビを見ていた。片倉康雄の「そば道場」のドキュメントだった。蕎麦打ちの名人、片倉康雄氏のお弟子さんたちを追って、番組は進行していた。

 蕎麦打ちは、誰にでもできるが、打つほどに奥が深くなるものらしい。片倉氏の一番弟子は、蕎麦打ち一筋で、普段の姿勢までが、前かがみのそば打ち状態にまで変わってしまった人だった。すごい・・・。

 蕎麦の実は米と異なり、中に胚芽が大きく広がっているため、栄養価も高い。近年、多くの人が悩む「血液ドロドロ」症状が、そばを食すことで、サラサラ流れるというから薬効的なことも期待される。(普通のそばの実より韃靼そばのほうが、その効果はより顕著らしい)

 蕎麦は、実を挽いて水を加え、捏ねてから延ばして切りそろえ茹でるという、面倒な工程を経て出来上がる。その、どの工程においても、そばの味や香りを最大限に引き出す工夫がなされ、結果、職人芸のようなものに発展していったのだろう。

 和食の真髄は原材料のもつ、旨味を最大限にひっぱり出す、つまり余分をさしひいていくことのように思える。余分なものを次々と剥ぎとってゆく『和の料理』技術をもつ料理人に、わたしはしばしば、求道者の姿を重ねて見てしまうことがある。それは、包丁さばきや、串うちなどの単なる技術的なことだけではなく、材料に対する観察眼や、料理を食する人への配慮など、料理人の精神修養のようなことである。

 食材を見つめその料理を食べる人がどういう場で、どういう心で食べるかまで想いをめぐらし調理する姿は、修行僧のようには見えないか。実際、僧侶が共同生活を営む禅寺などでは、修行の進んだ僧が料理を担当するという。ガサツな僧の調理した料理はガサツな味がするのだろう。

 片倉康雄氏が「そば道場」という看板を掲げたのも、単に蕎麦打ちのテクニックだけを拡げたかったわけではないのだろう。その証拠に氏は、ある弟子には技術的なことばかりを叩き込んだが、ある弟子には、テクニックはほとんど教えず、蕎麦を提供する心構えのようなことばかり教えたという。弟子の技量や適正を瞬時に見抜き、その人の一番よいところをひき出す。それは、腕のいい蕎麦打ち職人や、名料理人ひいては「人の道」にも重なり合うような気がする。

 昨今のグルメ番組を見ていると、最高級素材を使ったり、貴重で特殊な原材料を贅沢に組み合わせることに終始し、一番大切な『料理人の精神』は一切語られない。調理というのは料理人の精神を供する人へと伝える働きをしているのではないのか?

 母が子に手づくりの食事を与えるのは、金で買い与えるのとはまったく違う意味があるのと同じである。母親はその子に、身につくものを、健やかに成長して欲しいと願いをこめて、食事を作るものだ。食べる子どもたちや家族のことが必ず、念頭にある。そういう料理が「おふくろの味」なのだ。

 食品が単なる商品となってしまった今、金儲けのことしか頭にない企業が生産した食物や、時間給で、嫌々ながら調理しているパートタイマーのつくったパック惣菜は、そういった母親的な情がこめられず、むしろマイナスの感情が混入している可能性のほうが高い。

 飽食の国、日本で、町に溢れる食べ物は、胃袋という臓器を充たしはするが、心のこもらないパック惣菜や弁当、三角形に成型しただけの飯粒では、人は豊かな気持ちにはなれない。

 蕎麦打ち職人に限らず、料理することは、人としての精神を高める修行のようなことである。いいかえれば、どれだけ他人の心のなかに暖かいものを伝えられるか、どれほど人にパワーを与えられるかの力だと、わたしは考える。人格の高い人のつくった食物をいただき、その精神をとり込むことで、与える側も受ける側も、精神や肉体の機能までもが高められてゆくはずだ。

 真に料理人がその道を「極める」というのは、人格を磨きあげることと解釈している。料理でも、商売でも、政治でも芸術でも、なんでも同じだろう。ほんとうに極めるのは至難の業だろうが、極めるために日夜努力している人は、とても素晴らしくみえる。

 最近、わが街島原に、東京からUターンしてきた人が店を開いた。ほんものの手打ちで蕎麦を提供してくれる。なんとありがたいことだ!

求道者の精神と、蕎麦打ちの技術を活かして、是非とも田舎町島原で生き抜いて欲しい人である。

『茶房速魚川』にその人はいます。 

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年越しそばの時期にはわたしもお世話になりましたが・・・こんなに苦労しているなんて知らなかったです。

一番心配なのがあんまり努力しすぎて、体を悪くしないかなぁ・・・と。

ユンケル飲んでやるの?年末31日に予約していたそばをとりに行ったとき、寝ずにそばを打ち続けて朦朧(?)として、それでもまだ、打ち続けていた姿を見たもので・・・ちょっと心配。

なお、「求道者」とか「極める」とか言っている管理人本人は、「ボチボチ努力はしてみますがぁ・・・」程度の人格で、本人のことは棚上げしておりますので、悪しからず。毎度のことですが・・・。

 

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